蔓延するコロナウイルス、異常な気温変動、今年の果樹栽培は、そして思うこと
先日は最高気温が22度まで上がりました。3月上旬でこの気温は本当
に驚きです。ずっとあったかいわけではなく、冬のような寒い日もあ
り体調管理も大変ですが、これからのぶどう・りんごの生育にどう影
響するのか心配です。この冬は雪が少なかった影響で温かい割にはぶ
どうの水上りが遅れている感じです。ようやく昨日くらいから少し水
が上がってきたようですが、降水量不足は否めないと思います。
これからの農業も心配ですが、日本をはじめ世界各地で蔓延し始めた
新型コロナウイルスはどこまで広がり、いつ終息するのかまったく先
が見えないだけに不安になります。各地でイベントが中止され経済に
も大きな影響を与えており、人々の生活にも重大な影を落としていま
す。この間の政府の対策はどう見てもちぐはぐであり、後手後手の対
応に終始していたとしか思えません。とても人々の生命と安全を第一
に考えていたとは評価できません。小中高校の一斉休校もあまりに突
然でした。
2011年の3・11から9年が経ちましたが、未だに被災地の傷は癒えず、
復興がなされたとは言えません。そして福島原発事故による広範な放
射能汚染はまるでなかったかのように忘れられようとしています。コ
ロナウイルスで大騒ぎをしていますが、あの原発事故時にこの国は本当
に福島の子どもたちを放射能から守ろうとしたでしょうか。本来ならば
放射能被ばくから子どもたちを救うために休校どころか、与野党を問わ
ず疎開を考えるべきでした。それを年間1ミリシーベルトの被ばく限度
を20ミリシーベルトまで上げることで子どもたちを含む多くの人々を放
射能汚染地に住まわせるという暴挙を今もなお継続しています。放射能
が目に見えず、すぐに健康被害が出てこないことをいいことに大したこ
とがないかのように現在も振舞っていますいます。コロナウイルス騒ぎ
とはあまりに大きな違いであり、違和感を感じざるをえません。
ぶどうの粗皮削りに精を出しながらふと見上げると、遠くの北アルプ
スの雪の壁のような雪渓に癒されます。そして本来なら春の陽気に心躍
る季節ですが、どうにもやりきれなさと不安が一杯のこの頃です。
********<脱原発情報>*******************
【原子力資料情報室声明】
「3・11から9年 - 遠く、近く」
2020年3月11日
NPO法人原子力資料情報室
3歳と1歳の子を連れて被災地から新潟に自主避難した母親の苦悩を聴
いた。上の子は中学進学を控えていて、避難先でできた沢山の友達と別
れたくない。母親は故郷の地に戻りたい。「僕がいろいろ言っても僕た
ち家族は元の町に帰るんだよね」と複雑な、割り切れない思いを口にす
る。
福島県で、富岡 ? 夜の森 ? 大野 ? 双葉 ? 浪江の20.8キロが9年ぶり
に開通し、来る3月14日には、常磐線が全線復旧する。惨事から10年目を
迎えて、帰還困難区域の一部で避難指示が解除される。だが、全域避難
の双葉町では調査に回答した1,399世帯の64%が「戻らないと決めている」
、24%が「判断がつかない」、11%が「戻りたい」だった。一部解除されて
いる大熊町、富岡町でも「戻らない」はそれぞれ60%、49%だった。すで
に町に帰っている世帯は大熊町2%、富岡町7%だ(2019年8~11月、県・
3町の合同調査)。
10年もすると、3歳児は中学生になり、復旧と呼ばれる姿も垣間見える。
フクイチ・プラントも見かけが変わってきた。世論も少しずつ変化してき
た。だが、大気、水、大地、食物の安全性は、十年一日、不変であるこ
とが私たちの生きる基本をなしている。その不変性があの3・11以来、大
きく崩れた。にもかかわらず、〈科学的には安全だ〉と言い張って、オリ
ンピック・パラリンピックを旗印にフクシマの復興推進を唱える人たちが
いる。
溜まり続ける放射能汚染水の処理、放射能汚染土の再利用、多発とみら
れる甲状腺がん、見えない廃炉への道、廃炉状態の実際、ICRPの新勧告案
等々、難題が山積している。だが、科学の名を掲げて市民を説得しようと
する動きが目立つ。
〈被ばく量は小さい。科学的には安全だ〉と言うが、果たしてそうか。
そもそも、根拠にしているデータは信頼できるのか。データが意味を持つ
条件は成立しているか。実験室とちがって自然界では実態が複雑で、コン
トロールができない。因果関係を知るために疫学調査に頼らざるを得ない
ところもある。そこでは、何%の信頼区間でという議論になる。考慮され
ないひとたちの存在は切り捨てられる。
科学・技術の分野で見解が分かれるとき、もっとも批判的・悲観的な見
解に従うことが、現代社会に生きる私たちにとって基本の考え方である。
とくに、自然現象に対して科学が本質的に抱える曖昧性を考慮しなければ
ならない。そうでないと、科学・技術が高度に発達した現代社会において、
ふつうの市民たちの「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(憲法
第25条)が侵害されてしまう。
犠牲になった人たちの無念の思いを心に刻んで、過ちは二度と繰り返さ
ない気持ちを新たにしたい。
**********************************
by t-ao
| 2020-03-14 09:32
| 社会・世界その他
|
Trackback
|
Comments(0)